べっぴんさん|吉田美代のモデルは田中千代!美人の大御所デザイナー

 

朝ドラ『べっぴんさん』では、栄輔のエイスと潔のオライオンの

戦いの火ぶたが切られました。

 

オライオンの若い女性向けの商品販売を、事前に情報を入手して

ブロックするなど、栄輔はかなり狡猾になっています。

 

このあたりはドラマの大きなヤマ場となりそうですから注目ですね♪

 

ところでふたりの会話に出てきたのが、デザイナーの吉田美代です。

 

以前も写真で登場しましたが、栄輔は古くさいデザイナー

一蹴しました。

 

そんな吉田美代のモデルになっているのが、日本の女性デザイナーの草分け

として知られる大御所の田中千代です。

 

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吉田美代のモデルは田中千代!美人の大御所デザイナー

 

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田中千代1906年~1999年)

 

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田中千代は外交官で外務大臣も務めた松井慶四郎の娘として、

明治39年(1906年)に誕生しました。

 

幼い時から自宅で外国人を招いたパーティーなどが催されたため、

華やかなドレスやアクセサリーに憧れる幼少期を過ごします。

 

雙葉高等女学校卒業後は、地理学者の田中薫と結婚し長男を出産しますが、

デザインを学ぶためにお茶の水文化学院(現文化学院)に入学します。

 

その後夫の留学先のイギリスとドイツで学び、昭和6年(1931年)に帰国すると、

鐘紡の初代デザイナーに就任します。

 

と同時に洋裁教室の皐会を主催し、それが発展して洋裁研究所を設立します。

 

順風満帆にキャリアを重ねた千代ですが、戦争によって人生が一変してしまいます。

 

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ミシンを軍部に接収されて仕事ができなくなると、終戦後には栄養失調で

左目を失明という悲劇に見舞われます。

 

しかしかつての生徒たちの後押しもあって洋裁研究所を再興すると、

声をかけたのが佐々木営業部の社長の尾上清でした。

 

実は千代は戦前に佐々木営業部の子供服のデザインを手掛けるなど、

尾上とは旧知の仲でした。

 

そのため尾上の後押しもあって田中千代デザインルームを開設します。

 

また佐々木営業部とともに戦後初のファッションショーを手掛けるなど、

この頃にはかなり精力的に活動します。

 

加えて千代のデザインした衣装を当時の人気女優だった高峰秀子や

宝塚の女優たちが着用したことから知名度も上がり、人気デザイナーとなります。

 

また洋裁研究所も学校法人となり、田中千代服装学園(後の東京田中短期大学)

を開設して後進の指導にもあたります。

 

田中

 

その後は香淳皇后や皇室の女性の衣裳相談役も務めたことから、

「皇后さまのデザイナー」として広く知られることになります。

 

また日本ではじめてディオールの型紙を買い取ることが許されたのも、

彼女でした。

 

晩年には功績が評価され紫綬褒章を受章するなどしましたが、

平成11年(1999年)に92歳で永眠しています。

 

千代はまさに日本の女性デザイナーの草分け的な存在で、彼女がいたから

多くの女性がデザイン界やファッション界へと進出できたのは紛れもない

事実です。

 

そんな千代がモデルとなっている吉田美代は、栄輔に古くさいと

言われてしまいました。

 

最終的にはオライオンがエイスを逆襲する展開になりそうですが、

その際に美代はどのような役割を果たすかも注目ですね♪

 

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